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tokyokarasu2010

2010年12月31日

石澤常光

石澤 常光(いしざわ ときみつ、男性、1968年8月5日 - )は、日本のプロレスラー、総合格闘家。
新日本プロレスでプロレスデビュー後、海外遠征を経てケンドー・カシンとして覆面レスラーに転向。2000年以降は本名で総合格闘技にも参戦する。リング内外での破天荒なパフォーマンスとは裏腹に、レスリングに裏打ちされた確かなレスリング技術を持ち、ウィットに富んだ言動で多くのプロレスファンから注目を集める「問題児」。
入場テーマ曲:『Skywalk』
目次 [非表示]
1 来歴
1.1 デビュー以前
1.2 マスクマンへの変身
1.3 奇行の始まり
1.4 総合格闘技への進出
1.5 全日本プロレス時代
1.6 全日本プロレス退団から失踪まで
1.7 大学院進学とIGF参戦
1.8 DREAMへの参戦
2 得意技
3 タイトル歴
4 人物
5 中西学との因縁
6 世界タッグベルト返還訴訟
7 戦績
7.1 総合格闘技
8 脚注
9 関連項目
10 外部リンク
来歴 [編集]

デビュー以前 [編集]
青森県南津軽郡常盤村(2005年3月の市町村合併により現在は藤崎町)出身。父は合併時まで同村の村長を務めた石澤善成である。4人兄弟の三男。レスリングの強豪校である光星学院高校を経て、早稲田大学人間科学部卒業。
レスリングで全日本学生選手権3連覇、全日本選手権優勝を果たし、新日本プロレスのアマチュアレスリング部門、闘魂クラブ(後に廃止)に入団する。根っからのプロレスファンで、学生時代にはしばしば練習を休んでプロレス観戦に興じていたという。その後、1992年4月に正式に新日本プロレスに正式入団し、同年9月、石沢常光("ざわ"は新字体)の名で、金本浩二戦でプロデビューした。
マスクマンへの変身 [編集]
1996年3月の第7回ヤングライオン杯にて優勝を果たした。この際、優勝賞金としてセレモニーで手渡された小切手型のボードを半分に折り、決勝で破った永田裕志に渡して健闘を称えるという、後のカシンの姿からは想像もできない振る舞いを見せている。
同年7月に欧州遠征へ出発。その際、現地のプロモーターだったオットー・ワンツの要請を受け、マスクマン「ケンドー・カ・シン」となる(後に"カシン"に改名)。なお、リングネームの根拠は不明。
奇行の始まり [編集]
1997年10月16日の新日本四日市興行の試合後、「オレは別にいつ辞めたっていいしね。全然プロレス界に必要な人間じゃないし。潰すか潰されるか、それだけだ」とインタビューで発言。
1999年3月17日、金本浩二を破ってIWGPジュニアヘビー級王座を獲得する(第34代)。しかし同王座のベルトがあるにもかかわらず、その後の試合ではなぜか自作の"ケンドー・カシンベルト"を巻いて入場し、本物のIWGPベルトはリング上で足蹴にするなど、その権威をことさらに冒涜してみせる。他にも選手権試合の認定状を破り捨てる、勝利後に授与されるトロフィーをその場で破壊するなどのパフォーマンスを披露。
1999年6月8日、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア6に優勝。賞金として500万円を獲得したが、小切手ボードを実況レポーターの真鍋由アナに投げつけ、「お前これ、換金して寄付しとけ、ネコババするなよ!」と発言。「どこにですか!」と叫ぶ真鍋に「(当時紛争状態にあった)コソボだよ、コソボ!」と答えた。そして後日、単なるパフォーマンスではなく現実に賞金一部の100万円をコソボに寄付した。
総合格闘技への進出 [編集]
2000年8月、PRIDEのエグゼクティブ・プロデューサーを務めていたアントニオ猪木の命により、本名で「PRIDE.10」へ出場しハイアン・グレイシーと対戦するが、パンチの連打を浴びてKO負けを喫した。ハイアンとは翌年7月の「PRIDE.15」で再戦し、今度は逆にKOで勝利して雪辱を果たした。
2000年12月31日、INOKI BOM-BA-YEにおいて桜庭和志とプロレスルールで対決。プロレスでは極めて珍しいコーナーポスト上での腕固めで敗れた。試合後のインタビューで「この試合を振り返って如何ですか?」との問いに対し「お前が振り返れ」と答えた。両者は1995年の新日本対UWFインターナショナル全面対抗戦において、タッグマッチ、シングル戦でそれぞれ1回ずつ対戦しており、ともにカシン(当時は"石沢")が勝利している。
2001年10月8日、東京ドーム大会での成瀬昌由とのIWGPジュニアヘビー級タイトルマッチにおいて、成瀬が『カシンではなく、石澤常光として来い』との再三の挑発どおり、カシンとしてコールされるも、素顔の石澤でオープンフィンガーグローブをつけて花道に登場し、場内を騒然とさせる。試合は開始直後の成瀬のラッシュの後、成瀬はボディスラムをかけようとしたが、その腕に飛びつき逆十字を決め、わずか26秒でタップアウト勝ちを収め、第41代王者となった。試合後にはマスクを被りベルトを持ってインタビューを受け、「このベルトは石澤からもらった」と発言した。同王座は翌年まで保持したが、新日本退団時に返上扱い(事実上の剥奪)となった。
2001年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2001で正道会館の子安慎悟を相手に総合格闘技の試合を行う。この対戦は両者とも積極的な攻めが見られないまま引き分けに終わった。
全日本プロレス時代 [編集]
2002年2月、武藤敬司、小島聡らと共に新日本プロレスを退団し全日本プロレスに移籍する。入団会見ではスーツに身を包み、「過去を反省して生まれ変わります。もう認定証を破ったりとかはしませんので、パウチったりするのはやめてください」と発言。
全日本ではカズ・ハヤシらとともにジュニア戦線の主力選手として活躍する一方で、ZERO-ONEやみちのくプロレスなど、他団体にも頻繁に参戦。しかし、世界タッグ王座の封印を宣言したり、試合への無断欠場を繰り返したことなどを理由として、2004年7月1日付で解雇処分を受ける。
全日本プロレス退団から失踪まで [編集]
全日本退団後はリキプロなどにスポット参戦したのち渡米。新日本ロス道場でコーチとして後進の指導に当たりながら、アメリカのインディー団体、ROHに「ドラゴン・ソルジャーB(Bは「バカ」の意)」なるリングネームで参戦。アメリカのファンに通じるはずもない「ホーッ!」などの中西学の真似を披露。同団体ではジュニアヘビー級のトーナメントで優勝している。この時期、海外では他にヨーロッパのプロレス団体にもスポット参戦している。
2005年4月、長年に渡って犬猿の仲だった中西学と電撃和解を果たし、永田裕志と藤田和之も加えて「チーム・ジャパン(TJ)」を結成。さらにTJ内で中西とお揃いの迷彩コスチュームのタッグチーム「ワイルド・ソルジャーズ」も結成。これを機にヘビー級戦線にも本格参戦するようになり、同年夏のG1 CLIMAXに初出場を果たした。決勝トーナメント進出はならなかったが、予選リーグで川田利明に勝利を収めた。
2006年3月15日、総合格闘技大会「HERO'S」に急遽参戦。秋山成勲を相手に、約4年3か月ぶりに総合格闘技の試合を行うもギブアップ負け。同年10月9日に再度HERO'Sへ出場し、カーロス・ニュートンと対戦したが22秒でKO負け。ただし、石澤は「試合を止めるのが早い」と抗議した。さらに同年12月31日のK-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!では金泰泳と対戦するがハイキックでKO負けを喫した。この試合以降、石澤としてもカシンとしても試合をせず、ほぼ完全に消息を絶ったため、引退の声も強く囁かれた。事実、東京スポーツのコラムにおいて、「石澤はもう歳だろう」などと述べ、総合からの撤退を示唆している。
大学院進学とIGF参戦 [編集]
2007年12月20日、IGF有明コロシアム大会にて、直前に欠場となったブッカー・Tの代役として、カート・アングルを相手に、カシンとしての復帰を果たした。プロレスの試合としては実に2年2か月ぶりだが、まったくブランクを感じさせないファイトを見せた。この試合について、田中秀和は自身のブログで、カシンへのオファーがあったのは試合前日だったとする裏話を明かしている。しかし、東京スポーツの「INOKI日記」による記述では、数日前からオファーはしていた様子である。
2008年1月、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科(社会人大学院修士1年制)に合格。現役レスラーでの大学院進学はジャンボ鶴田以来2人目。カシンは「ビッグ・サカやドラゴン、ムトチャン、サイモン・ケリーら偉大な経営者に倣って、プロレス界のためにスポーツマネジメントを学びたい」と東京スポーツ紙上で抱負を語った。早大では平田竹男教授の指導を受けた[1]。
DREAMへの参戦 [編集]
2009年10月25日、DREAM初参戦となったDREAM.12で新日本プロレス時代の後輩柴田勝頼と対戦し、パウンドでTKO負けを喫した。
得意技 [編集]

軽量級のマスクマンには珍しく飛び技の類いはほとんど使用せず、多彩な関節技とヨーロッパ仕込みの丸め込み技を得意とする。
腕ひしぎ十字固め
カシンの代名詞的な技で様々なバリエーションが存在する。腕ひしぎ逆十字固めと実況されることがほとんど。
飛びつき式腕ひしぎ十字固め
正面から飛びついて極める。最もフィニッシュに多用された入り方である。
雪崩式飛びつき腕ひしぎ十字固め
コーナーポスト上に座らせた相手から一旦距離を置き、勢いを付けてポストを駆け上り飛びつき式を極める。関節技を雪崩式に応用したのは公開当初非常に希有な例であったが、フロントキックで迎撃されることも多い。
ビクトル式腕ひしぎ十字固め
相手の片腕を片手で掴み背後に回って肩口に飛び乗り前方回転して極める。
足取り式腕ひしぎ十字固め
片腕と同時に相手の片足を一緒に抱え込んで極める、膝十字固めとの複合関節技。相手をロープブレイクから遠ざける効果を併せ持つ。ビクトル式から派生する場合も多い。
巻き込み式腕ひしぎ十字固め(横入り式腕ひしぎ十字固め)
相手の片腕を掴みかがませ、腕をまたいで腹部に片方の踵を当てながら回転して極める。この技のモーションからスクールボーイに持っていくことが多い。
カチ上げ式エルボースマッシュ
カシンが試合を組み立てる上で非常に多用することが多い技。
フライング・ネックブリーカー・ドロップ
こちらもカシンが試合を組み立てる上で多用することが多い技。片手で仕掛けるのが特徴。タッグマッチでは味方に誤発することが多かった。ダイビング式も稀に使用。
カシン式タランチュラ(タランチュラ式首四の字/絞首刑)
相手に首四の字固めを仕掛けた状態で、トップロープまたはコーナポストに垂れ下がる反則技。
ローリング・クレイドル
この技からKVニーロックに移行うることも多かった。
KVニーロック
四の字に組んだ自分の脚に相手の片足を挟み、テコの応用で足首を極める関節技。KVは「カシン・ビクトリー」の略。素顔時代にはIVニーロック「石沢・ビクトリー」と呼ばれた。
KV固め
相手が逆エビ固めを仕掛けて来た際、自身の上半身を捻り前方回転エビ固めに移行する丸め込み技。
長滞空式ブレーンバスター
ほとんどはこの技を掛けるフリをしてトップロープに相手の腹部を打ち付ける。一時期垂直落下式も見せていた。
旋回式垂直落下ブレーンバスター
望月成晃のツイスターらと同型。これも一時期見せていたがあまり使用しなくなった。
低空ブレーンバスター
低い位置から放つブレーンバスター。この技から腕十字に移行するパターンを見せている。
一本背負い
こちらも主に腕十字の繋ぎ技として使用。自身が両膝を付きながら仕掛けることが多かった。
ファイヤーマンズキャリー
レスリングをバックボーンに持つレスラーらしく使用頻度は高い。
変形カンパーナ
グラウンド状態で極める変形。ここからクラッチを解いて、キャメルクラッチに移行する連携をよく使用する。
前三角絞め
凶器攻撃
イスなどの他に、リング下に隠しておいたジュラルミンケースが代表的。
反則技
握手を誘っておいての急所攻撃やロープブレイクを無視するなど。
変形フィッシャーマンズバスター
ゴー・トゥー・ヘル・ボトム
レッグロックスープレックス・ホールド
チキンウィング・パイルドライバー
クレイジーボム
クロスアーム・スープレックス・ホールド
リバースデスバレーボム
地獄突き
主に全日本時代にブッチャーとタッグを組んでいた時に使用していた。
タイトル歴 [編集]

新日本プロレス
IWGPジュニアヘビー級王座(第34代、41代)
IWGPジュニアタッグ王座(第2代、パートナーはドクトル・ワグナー・ジュニア)
全日本プロレス
世界ジュニアヘビー級王座(第20代)
世界タッグ王座(第50代、パートナーは永田裕志)
その他
CWA世界ジュニア
EWP インターコンチネンタル
人物 [編集]

PRIDE.15でハイアンに勝利した直後、コメントを求めて控え室に詰め掛けたテレビクルーに対し、マスクを被った上で「石澤はもう帰ったからオレが代わりに来た。」と述べるなど、「石澤」と「カシン」の使い分けを厳密に行っている。
出身地の旧常盤村は津軽地方にあるが、高校は南部地方の八戸市にある光星学院高校に進んだ。同県内だが距離的には離れており、また両地方間には藩政時代から続く軋轢が今も残っているが、レスリングに打ち込むために、同校への進学を強く志願した。
ブログなどを開設して自身の試合スケジュールやメッセージを自己発信するレスラーも多い時代にあって、メディアへの露出を極限まで避けている。石澤としてのプライベートは本名、生年月日、出身地など以外は一切公表していない。カシンとして自身の情報をアナウンスするのは、東京スポーツ誌上の人生相談コラム(不定期)のみである。
自身のマスクのバリエーションも非常に豊富で、近年では試合の度にマスクを変える。それらマスクおよびコスチュームはカシンと昵懇であるOJISANスポーツが製作している。また、マスクに対戦相手への皮肉や揶揄のメッセージを織り込むこともある(藤波辰爾に対して「コンニャク」など)。
実家は現在も藤崎町で養鶏場(トキワ養鶏)を営んでいる。2008年10月には安田忠夫が同養鶏場への就職を志願し採用されたことが話題となった[2]。
中西学との因縁 [編集]

同期の中西学とはある時は「犬猿の仲」、ある時は「親友」と言って憚らない。新日本時代、試合での中西との絡みの有無に関係なく、インタビューで訊かれてもいない中西の話をし始め、ひたすらネタとして弄り倒すこともしばしばだった。中西が「P4メッセージ」なるものを発信すると、自らも「Problem360°」(当時の中西の入場曲「No Problem」に由来、360度どこからでもかかってこいという意味)というメッセージを発信、自身の入場曲の出だしに「Problem」というフレーズを挿入し、現在に至るまで使用している。
新日本離脱後も総合格闘技での「決着戦」をマスコミを通じて申し入れたり、中西が受諾もしていないのに「カシン対中西」戦をイラストでうたったTシャツを自作し、プロレスと総合の試合で入場時に着用するなど、「中西弄り」は約10年余に及んだ。
中西と仲が良いとされた成瀬昌由も「被害」を受け、成瀬が長い巡業から自宅に帰ると、留守電がカシンからのメッセージ(ほとんどが中西への悪口)で埋め尽くされていたという。
中西本人が新日本プロレスへの入門当時を述懐したインタビューによると、「雑用をしなければいけない日に遅刻(中西はレスリングオリンピック出場者として特待生扱いを受けており、寮生活ではなかった)し、生真面目な石澤が激怒した」ことから、以後の因縁が生じたとのこと。
世界タッグベルト返還訴訟 [編集]

2005年8月2日、全日本プロレスが同団体の所有する世界タッグ王座のベルトの返還に応じないとして、前月に解雇したカシンに対し、ベルトの返還を求める民事訴訟を東京地裁に起こした。
タッグパートナーの永田は王座剥奪時に全日本側の要請に応じてベルトを返還しているため、提訴の対象となっていない。剥奪後、全日本は王座決定戦を行い、太陽ケア、ジャマール組を正式な王者として認め、永田が返還した2本のベルトのみで王座戦を行っていた。
カシンは「王者になればベルトはもらえると思っていた。すべてはベルトを欲しがった永田君が原因。私は踏み台男の踏み台にされました」などといつものカシン節で応酬した。
さらに、同じTJ内に一緒にベルトを獲った永田がいるにもかかわらず、「王座は永田から中西に譲渡された」と一方的に宣言し、中西をパートナーとして2005年10月8日の新日本・東京ドーム大会でのチャーリー・ハース、マーク・ジンドラック組との試合を、「世界タッグ王座の初防衛戦」として強行する構えも見せたが、結局はカシンが2本のベルトを肩にかけて入場するに留まった。同試合の入場では「被告人、ケンドー・カシン」とのコールを受け、両手に手錠をはめて花道を歩くというパフォーマンスを行った。
初公判は同年10月5日に行われ、全日本側は早期和解を求めたが、カシン側は「ベルト獲得後に全日本に試合を組んでもらえなかったことが原因」とし、あくまでもリング上での決着を求めたため物別れに終わった。この日の公判において、全日本とカシンとの間にもともと選手契約自体が結ばれていなかったことなどが明らかとなり、全日本の選手管理の杜撰さを露呈する結果ともなった。その後しばらくの間、石澤ないしはカシンとして試合をする際には「武藤久恵対ケンドー・カシン裁判Tシャツ」を着用していた。なお、武藤久恵とは武藤敬司夫人で、全日本を取り仕切っていると言われる。
前代未聞の「ベルト裁判」の行方に世間の注目が集まったが、「ケンドー・カシンとして訴えられたのだから、マスク着用が認められない限り、(石澤の姿では)法廷に出ない」などと強弁するカシンの言動に弁護人が呆れ、弁護を辞したことで事態は一変。2006年4月末、2本のベルトが全日本の事務所に送料着払いで送付されたことで一応の解決をみたようである。その後、全日本はカシンが占有していたベルトを加え、従前通り4本のベルトでの選手権試合を行っているが、現在に至るまで、この事件については一切のコメントをしていない。


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