2011年01月06日
ケリー・フォン・エリック
ケリー・フォン・エリック(Kerry Von Erich)のリングネームで知られるケリー・アドキッセン(Kerry Gene Adkisson、1960年2月3日 - 1993年2月18日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ニューヨーク州バッファロー出身。鉄の爪フリッツ・フォン・エリックの四男。
WWF(現・WWE)ではテキサス・トルネード(Texas Tornado)のニックネームでも活躍した。日本では「虎の爪」の異名を持つ。
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1 来歴
2 得意技
3 獲得タイトル
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
来歴 [編集]
血筋を背負い1979年にプロレスラーとしてデビュー。父が主宰する地元ダラスのWCCW(World Class Championship Wrestling)を主戦場に、ベテランのアーニー・ラッド、マーク・ルーイン、ザ・グレート・カブキらに揉まれてキャリアを積み、同世代のジノ・ヘルナンデス、キングコング・バンディ、ファビュラス・フリーバーズらとの抗争を通し次代のスター候補として期待を寄せられる。
1983年1月23日にはミズーリ州セントルイスでハーリー・レイスを破り、NWA世界王者への登竜門とされたミズーリ・ヘビー級王座を獲得。同年3月に全日本プロレスに初来日している。
1984年5月7日、テキサス・スタジアムでの兄デビッド・フォン・エリックの追悼興行においてリック・フレアーを撃破、第67代NWA世界ヘビー級王者となる。同年5月、王者として全日本プロレスに来日し、5月22日に東京でジャンボ鶴田の挑戦を退けるが、5月24日の横須賀で前王者フレアーに敗れて王座転落。
1985年10月からは新日本プロレスに来日するようになり、兄ケビンと組んで藤波辰巳&木村健吾のWWFインターナショナル・タッグ王座に挑戦している。翌年には前田日明とのシングルマッチも行われた。
1986年6月、オートバイ事故を起こし右足を切断する重傷を負う。一時は再起不能とされたが、義足を付けて1987年に奇跡的にカムバックを果たした(しかし、この事故によりペインキラー依存症となる)。
カムバック後の1988年には本拠地のWCCWにて、NWAアメリカン・ヘビー級王座の後継タイトルであるWCWA世界ヘビー級王座を獲得。以降、当時のAWA世界ヘビー級王座ジェリー・ローラーと、王座統一を賭けた「テキサス対テネシー」の抗争を繰り広げた。タイトルは勝者ローラーによって統一され、1989年よりUSWAユニファイト世界ヘビー級王座と改称。WCCWもローラーとジェリー・ジャレットが主宰していたテネシーCWAとの合併でUSWAとして再出発するが、1990年9月に興行収益を巡るトラブルでテネシー派と袂を分かつ。
ケリーもUSWAを離れ、1990年夏よりWWFに参戦。8月27日のサマースラムではミスター・パーフェクトからインターコンチネンタル王座を奪取した。WCCWでの盟友でもあったアルティメット・ウォリアーともタッグを組み、同年11月のサバイバー・シリーズではウォリアー&リージョン・オブ・ドゥームと "The Warriors" を結成して出場。WWFには1992年まで所属し、退団後はテキサスのインディー団体を転戦した。
1993年、コカインの使用により起訴される。他のドラッグ使用による執行猶予中だったこともあり、2月18日に実刑を伴う有罪が確定。同日、自宅にて(当所では有罪が確定した人物には1日の執行猶予が与えられる)ピストルで自らの命を絶った[1]。
男のみの6人兄弟の中、現在でも健在なのは次男のケビン・ロス・アドキッセン(ケビン・フォン・エリック)のみ。ケビンもかつてはプロレスラーとしてNWAミズーリ・ヘビー級王座を獲得するなどの活躍をしたものの(日本ではデビッドとのコンビでアジアタッグ王座を奪取)、現在はプロレスから身を引いている。
2009年4月、フォン・エリック一家の一員としてWWE殿堂に迎えられた。
得意技 [編集]
ディスカス・パンチ(学生時代に円盤投の選手だったことを応用した回転パンチ。WWFでは「トルネード・パンチ」と呼ばれた)
タイガー・クロー(アイアンクロー)
獲得タイトル [編集]
NWA
NWA世界ヘビー級王座:1回
NWAミズーリ・ヘビー級王座:1回
WCCW
NWAテキサス・ヘビー級王座:4回
NWAテキサス・タッグ王座:3回(w / ブルーザー・ブロディ×1、スキップ・ヤング×1、タイガー・コンウェイ・ジュニア×1)
NWAアメリカン・ヘビー級王座:5回
NWAアメリカン・タッグ王座:6回(w / ブルーザー・ブロディ×3、ケビン・フォン・エリック×2、アル・マドリル×1)
NWA世界タッグ王座(テキサス版):3回(w / アル・マドリル×2、テリー・オーンドーフ×1)
NWA世界6人タッグ王座(テキサス版):6回(w / ケビン&デビッド・フォン・エリック×2、ケビン&マイク・フォン・エリック×1、ケビン&ブライアン・アディアス×1、ケビン&ランス・フォン・エリック×1、ケビン&マイケル・ヘイズ×1)
WCWA世界ヘビー級王座:4回
WCWA世界タッグ王座:4回(w / ケビン・フォン・エリック×3、ジェフ・ジャレット×1)
WWE
WWFインターコンチネンタル王座:1回
WWE Hall of Fame 2009 (プレゼンターはマイケル・ヘイズ)
その他
USWFテキサス・ヘビー級王座:1回
脚注 [編集]
^ 中島らもの対談集『訊く』(ISBN 4062079887)での中島とミスター・ヒトとの対談では、ケリーは筋肉増強
WWF(現・WWE)ではテキサス・トルネード(Texas Tornado)のニックネームでも活躍した。日本では「虎の爪」の異名を持つ。
目次 [非表示]
1 来歴
2 得意技
3 獲得タイトル
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
来歴 [編集]
血筋を背負い1979年にプロレスラーとしてデビュー。父が主宰する地元ダラスのWCCW(World Class Championship Wrestling)を主戦場に、ベテランのアーニー・ラッド、マーク・ルーイン、ザ・グレート・カブキらに揉まれてキャリアを積み、同世代のジノ・ヘルナンデス、キングコング・バンディ、ファビュラス・フリーバーズらとの抗争を通し次代のスター候補として期待を寄せられる。
1983年1月23日にはミズーリ州セントルイスでハーリー・レイスを破り、NWA世界王者への登竜門とされたミズーリ・ヘビー級王座を獲得。同年3月に全日本プロレスに初来日している。
1984年5月7日、テキサス・スタジアムでの兄デビッド・フォン・エリックの追悼興行においてリック・フレアーを撃破、第67代NWA世界ヘビー級王者となる。同年5月、王者として全日本プロレスに来日し、5月22日に東京でジャンボ鶴田の挑戦を退けるが、5月24日の横須賀で前王者フレアーに敗れて王座転落。
1985年10月からは新日本プロレスに来日するようになり、兄ケビンと組んで藤波辰巳&木村健吾のWWFインターナショナル・タッグ王座に挑戦している。翌年には前田日明とのシングルマッチも行われた。
1986年6月、オートバイ事故を起こし右足を切断する重傷を負う。一時は再起不能とされたが、義足を付けて1987年に奇跡的にカムバックを果たした(しかし、この事故によりペインキラー依存症となる)。
カムバック後の1988年には本拠地のWCCWにて、NWAアメリカン・ヘビー級王座の後継タイトルであるWCWA世界ヘビー級王座を獲得。以降、当時のAWA世界ヘビー級王座ジェリー・ローラーと、王座統一を賭けた「テキサス対テネシー」の抗争を繰り広げた。タイトルは勝者ローラーによって統一され、1989年よりUSWAユニファイト世界ヘビー級王座と改称。WCCWもローラーとジェリー・ジャレットが主宰していたテネシーCWAとの合併でUSWAとして再出発するが、1990年9月に興行収益を巡るトラブルでテネシー派と袂を分かつ。
ケリーもUSWAを離れ、1990年夏よりWWFに参戦。8月27日のサマースラムではミスター・パーフェクトからインターコンチネンタル王座を奪取した。WCCWでの盟友でもあったアルティメット・ウォリアーともタッグを組み、同年11月のサバイバー・シリーズではウォリアー&リージョン・オブ・ドゥームと "The Warriors" を結成して出場。WWFには1992年まで所属し、退団後はテキサスのインディー団体を転戦した。
1993年、コカインの使用により起訴される。他のドラッグ使用による執行猶予中だったこともあり、2月18日に実刑を伴う有罪が確定。同日、自宅にて(当所では有罪が確定した人物には1日の執行猶予が与えられる)ピストルで自らの命を絶った[1]。
男のみの6人兄弟の中、現在でも健在なのは次男のケビン・ロス・アドキッセン(ケビン・フォン・エリック)のみ。ケビンもかつてはプロレスラーとしてNWAミズーリ・ヘビー級王座を獲得するなどの活躍をしたものの(日本ではデビッドとのコンビでアジアタッグ王座を奪取)、現在はプロレスから身を引いている。
2009年4月、フォン・エリック一家の一員としてWWE殿堂に迎えられた。
得意技 [編集]
ディスカス・パンチ(学生時代に円盤投の選手だったことを応用した回転パンチ。WWFでは「トルネード・パンチ」と呼ばれた)
タイガー・クロー(アイアンクロー)
獲得タイトル [編集]
NWA
NWA世界ヘビー級王座:1回
NWAミズーリ・ヘビー級王座:1回
WCCW
NWAテキサス・ヘビー級王座:4回
NWAテキサス・タッグ王座:3回(w / ブルーザー・ブロディ×1、スキップ・ヤング×1、タイガー・コンウェイ・ジュニア×1)
NWAアメリカン・ヘビー級王座:5回
NWAアメリカン・タッグ王座:6回(w / ブルーザー・ブロディ×3、ケビン・フォン・エリック×2、アル・マドリル×1)
NWA世界タッグ王座(テキサス版):3回(w / アル・マドリル×2、テリー・オーンドーフ×1)
NWA世界6人タッグ王座(テキサス版):6回(w / ケビン&デビッド・フォン・エリック×2、ケビン&マイク・フォン・エリック×1、ケビン&ブライアン・アディアス×1、ケビン&ランス・フォン・エリック×1、ケビン&マイケル・ヘイズ×1)
WCWA世界ヘビー級王座:4回
WCWA世界タッグ王座:4回(w / ケビン・フォン・エリック×3、ジェフ・ジャレット×1)
WWE
WWFインターコンチネンタル王座:1回
WWE Hall of Fame 2009 (プレゼンターはマイケル・ヘイズ)
その他
USWFテキサス・ヘビー級王座:1回
脚注 [編集]
^ 中島らもの対談集『訊く』(ISBN 4062079887)での中島とミスター・ヒトとの対談では、ケリーは筋肉増強
Posted by tokyokarasu2010 at 19:37│Comments(0)
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